syghの新フラグメント置き場

プログラミングTipsやコード断片の保管場所です。お絵描きもときどき載せます。

美少女アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

10月に『ロン 僕のポンコツ・ボット』を観ました。最高に面白かったです。ファミリー向けですがお勧め。
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鑑賞後、何か他にも面白い映画がないか前売り券を探していたときに見つけたのが『アイの歌声を聴かせて』でした。
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学園青春モノか……うーん、自分はあまり趣味じゃないんだよな……と思っていましたが、観てよかったです。ツッコミどころも多々ありますが、鑑賞中スクリーンから一度も目が離せなかったということは面白かったということなんだろう。

どちらの作品も前情報一切なしで鑑賞に臨んだんですが、示し合わせて制作したのではないかと思うくらい、驚くほど共通点がありました。一応ネタバレは避けるために核心には触れませんが、ロボット(あるいはアンドロイド)と人間との共生、そして少年少女の自立というものがテーマだったのではないかと思います。『ロン』ではネットワークに接続した「Bボット」を通じて、流行りのSNSに依存する子供たちが描かれます。『アイ』では生活の隅々までAI機器が浸透した近未来が描かれます。正直、自分にとってはどちらの世界も便利というよりはディストピアに見えてしまうのですが、近いうちに似たような技術は出てきて、現実が空想をあっという間に追い越してしまうのではないかと思います。

SF作品というのは往々にして、どうも現実世界における現在(作品制作当時)の技術の延長線上にあるものを小道具として使うことが非常に多いです。それが脚本家・演出家の発想の貧困や想像力の限界によるものなのか、それとも今を生きる観客に親近感を持ってもらうためにあえてそうしているのかは分かりませんが。SNSにしろスマートフォンにしろ、10年後にはまったく別のものに取って代わられているかもしれない流行りのものを画面に出すということは、表現が陳腐化してしまう危険性もはらんでいます。例えば『超時空要塞マクロス』(1982) では、移動する公衆電話というデバイスが出てくるのですが、作品の舞台となった2009年の時点で、現実世界ではすでに携帯電話が十分に普及しており、日常的に公衆電話を使う機会は失われてしまっていました。『機動戦士ガンダムSEED』(2002) や続編の『SEED DESTINY』(2004) でも、フィーチャーフォンのような携帯デバイスが出てくるのですが、そのデザインは現実世界の2000年代初頭にラインナップされていた製品そのものでした。今観ると完全に陳腐化しています。バルキリーモビルスーツのようなすごいテクノロジーがあるというのに、どうして現実世界のショボいデバイスどもが同じ時間軸に出現するのか。

話が逸れました。本当に語りたかったのは、両作品にそれぞれ登場するロボット、「ロン」(日本語吹替CV: 関智一) と「シオン」(CV: 土屋太鳳) の可愛さです。いやあ、メロメロになりましたね。二人(二体?)とも、ロボットらしく健気というかまっすぐなんですよね。融通が利かない。でもひたすらに一生懸命で、そこがいとおしい。バッテリーが切れそうになって動きが鈍くなり、それでも最後の力を振り絞って歩こうとするシーンは心打たれ、悲しくなります。ポンコツと称されていますが、故障して動作がおかしくなっていたロンはともかく、シオンは他とまったく違うワンオフ機で、完全にオーバーテクノロジーです。『アイ』の世界観では、二足歩行の人型ロボットはいても、特定の用途に特化した、いわゆる弱いAIの延長にあるものばかりで、外観もペッパー君やロビのような「ザ・ロボット」といった感じです。そこにシオンのような人間とほとんど区別がつかないレベルのロボットが唐突に出てくる異様さ。正直AIが云々より、このハードウェア技術のほうが驚異的です。しかもとびきりの美少女ときた。いったい誰の趣味だよ。サンダー(柔道部のクラスメートのあだ名)の気持ちがすんごく分かります。

しかし主人公・サトミの母親(シオンの開発責任者)はなんというか……ダメな大人の典型ですね。子供より精神年齢が低い。そもそも、なんで社外秘の機密事項を子供でも見られるカレンダーに入力してるんだよ……こんなセキュリティ意識ガバガバの会社の製品なんて買いたくないぞ。詳しくは伏せますが、もとはと言えばアンタのせいじゃねーか、むしろ本来アンタが土下座して謝るべきでしょうが、と言いたくなる場面が何度もありました。