Tokyo MX のGガンダム 再放送でもCMが流れていますが、宇宙世紀 ガンダムシリーズ のBDが廉価版として再販されることになりました。4Kリマスターではない従来版の再販ということなので、画質は劣るようですが、正直4Kでなくとも必要十分なんじゃないでしょうか。それよりも大して価格が下がってないことのほうがどうかと思います。
それはそうと、ラインナップにあの悪名高きクソ劇場版ゼータ が入っていることが気になります。あれは宇宙世紀 ではありません。別の世界線 の黒歴史 です。CMであのクソゼータの映像が流れるたびにゲロを吐きそうになります。AGEのように駄作とかいう生易しいレベルではなく、TV版ゼータどころか、我々が愛した宇宙世紀 のガンダムシリーズ そのものに対する完全な冒涜です。たまに「賛否両論」とか書かれていることがありますが、日本語が読み書きできないのでしょうか。最後まで観ても賞賛できる部分は何一つありません 。
自分は宇宙世紀 シリーズの作品は概ね観ていて、TV版ファースト、劇場版ファースト、ダブルゼータ 、逆襲のシャア 、F91 、Vガンダム 、そして富野由悠季 監督作品ではない0080 、0083、08小隊も好きなんですが、1991年のローカル再放送で「最初に観たガンダム 」として、TV版の「機動戦士Ζガンダム 」にはとりわけ思い入れが深かったのです。高校生のときにビデオレンタルで最初に見返したのもゼータでした。ガンプラ も旧1/144キット、旧HG 1/144(ウェイブシューター)のゼータを組んだことがあります*1 。シャープな印象のゼータはもちろん、マッシブなガンダムMk-II も好きです。
ではなぜ吐き気を催すほどクソ劇場版ゼータが嫌いなのか。ネタバレ前提なので要注意ですが、TV版より先にクソ劇場版を観てしまうことでゼータガンダム が何たるかを誤解してしまう不幸な人、TV版を視聴済みでうっかりクソ劇場版を観てしまって死ぬほどガッカリする不幸な人が一人でも減ることを願い、ここにそのムカつく点を列挙していきます。
劇場版ゼータが大嫌いな理由その1・「永遠のフォウ」のカット
ゼータガンダム のストーリーは、スペースコロニー 、月、地球などを舞台に、主人公カミーユ・ビダン の属するエゥーゴ (反地球連邦組織)、敵対するティターンズ (地球連邦の特殊部隊)、第三勢力アクシズ (旧ジオン公国 )の三つ巴による複雑な戦争を描いており、劇場版3本に収めるには尺が足りなすぎます。ですが、だからといって何でもかんでもカットしていいわけではない。
カミーユ は作中で二度地球に降りているんですが、一度目にホンコン・シティで出会った薄幸の美少女、フォウ・ムラサメ と恋に落ちます。しかしフォウはムラサメ研究所(地球連邦所属)の強化人間であり、無くした記憶を取り戻すために巨大兵器・サイコガンダム に乗り、カミーユ と戦うことになります。
二度目に地球に降りたとき*2 、カミーユ はティターンズ のキリマンジャロ 基地でフォウと再会するのですが、彼女はさらに強化・調整されてカミーユ との出会いすら忘れていました。戦闘の混乱のさなか、最終的に自分の心を取り戻したフォウは、カミーユ をかばって戦死します。フォウはファーストガンダム で言うとララァ・スン のような存在でもあるのですが、ファーストのようにオカルトチックなニュータイプ 同士の邂逅は描かれないものの、フォウの死はカミーユ のその後に暗い影を落とすことになります。「水の星へ愛をこめて 」のインストゥルメンタル ・バージョンが流れる中、カミーユ がフォウの亡骸を抱きながら、クワトロに「シャア・アズナブル に戻る」ことを促すシーンは極めて鮮烈な印象を残しました*3 。
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しかしクソ劇場版ではそもそも地球に一度しか降りず、「永遠のフォウ」もなければ「ダカール の日」もありません。ストーリー上重要なターニングポイントや印象的なシーンがバッサリ削られているんです。フォウの死やダカール 演説が明確に描かれないなんて、肉の入っていないすき焼きのようなものです。例えばファーストガンダム におけるミハルやララァ の死がカットされたとしても、あなたは黙っていられますか? これを改悪と言わず、なんとするのか。「永遠のフォウ」の重要性に比べたら、アッシマー の活躍なんか本当にどうでもいいんです。TV版には他にも「ハーフムーン・ラブ」「湖畔」といった、各登場人物像を掘り下げる印象的な回が沢山あるんですが、クソ劇場版ではことごとくカットされてしまっています。そもそもゼータを劇場版3本に収めようとする企画自体が無謀なんです。
劇場版ゼータが大嫌いな理由その2・結末の変更
自分があのクソ劇場版ゼータを嫌う最大の理由は、主人公・カミーユ の精神崩壊というゼータの物語の終着点とも言える結末を安直に変更してしまったことです。富野監督とは到底思えない采配に、もはや富野は死んだ、と完全に落胆・失望しました*4 *5 。
TV版では、カミーユ・ビダン は戦争のさなか、様々な人々との出会いと死別を体験していきますが、ニュータイプ として感性が強すぎるがゆえに極限まで精神的ストレスを溜め込んでいきます。最終回「宇宙(そら)を駆ける」で、憧れだったエマ・シーン 中尉の死に立ち会い、別れを告げるカミーユ の表情は穏やかですが悲壮そのものです。ティターンズ のパプテマス・シロッコ が駆る重MSジ・オとの最終決戦では、死んでいった人々(というかカミーユ が関わった女性たち)の力を借りてジ・オの動きを封じ、ウェイブライダー で突撃してシロッコ を倒すものの、シロッコ の怨念により精神を持っていかれます*6 *7 。
戦闘終了後、母艦・アーガマ 所属の数少ない生存者として、メタスのパイロ ットのファ・ユイリィ (カミーユ の幼馴染)は、精神崩壊して自分が誰なのかも分からなくなってしまったカミーユ を発見し、その様子に愕然としながらもアーガマ に報告。また、戦死したエマ中尉の乗っていたガンダムMk-II が漂流しているのを見つけて「お前もアーガマ に帰りたいのね……」と語りかけます。最後に百式 の残骸が流れていき、Fin.のメッセージ。BGMはやはり「水の星へ愛をこめて 」。悲劇ではありますが、これ以上ない本当に完璧な結末でした。続編のダブルゼータ では精神崩壊したカミーユ をファが献身的に介護します。
しかしクソ劇場版ではカミーユ は精神崩壊しません。散々死人を出しまくった戦争の後なのに、ファと宇宙空間でいちゃついて終わりです。しかもそのいちゃつき方とセリフ回しが気持ち悪いのなんの。吐き気がします*8 。何なんだこれは。悪夢のような三流のクソシナリオ。何より、カミーユ が精神崩壊しないということは、ダブルゼータ のジュドー・アーシタ へのバトンタッチ*9 につながらなくなり、さらには間接的に逆襲のシャア にもつながらなくなります。クソ劇場版ゼータは葬り去るべき別の世界線 (パラレルワールド )であり、黒歴史 以外の何物でもありません。他の既存作品をないがしろにしてしまうような自分勝手で横暴な解釈による後付け割り込み作品など、誰が観たいと思うのでしょうか。リセットでやり直しのきくゲームの別ルートのような何か*10 に改竄されてしまったばかりか、続編としてガンダム サーガを紡いできた名作の数々に泥を塗りたくったクソ劇場版ゼータ。こんなゴミクズのような作品の、一体どこに魅力があるというのでしょうか。
テッカマンブレード も主人公が最終的にすべてを失なう過酷なストーリーなのですが、だからこそ記憶に残るんです。あれが単なるご都合主義のハッピーエンドだったら、後世に語り継がれる名作になりえたでしょうか。否です。
劇場版ゼータが大嫌いな理由その3・声優の変更
(以下、敬称略)
引退されてしまったファ(松岡ミユキ )は仕方ないにせよ、なぜかフォウ(島津冴子 )、サラ(水谷優子 )、ロザミア(藤井佳代子)といった重要な登場人物の声がことごとく変えられてしまいました。声優が音響監督に枕営業 しているかどうかなんて知ったことではありませんが、そういう噂がたつのもやむなしと思えるくらい、疑念・疑惑の残る気持ち悪い交代劇でした。加えて「音響監督に裏切られた」とかいう醜い言い訳をする富野監督に対する印象は、この時点で最悪になりました。こいつらはクリエイター以前に人間としてどうなのか? カツ(難波圭一 )やハヤト(鈴木清信 )も、なぜ変えたし、という印象しかありません。決して後任の声優が悪いわけではありませんが、オリジナル声優が存命で現役なのに変える理由が分かりません。特にサラは声優ですらなく、棒演技のド素人(池脇千鶴 )を使ったせいで、違和感ばかり気になって話の内容が頭にまったく入ってきませんでした*11 。ちなみに棒演技の評判がよほど悪かったのか、サラは第3部でキャストがさらに変更されています(島村香織)。音響監督のポンコツ 無能ぶりがうかがえます。結局、ある意味で池脇氏も犠牲者のうちの一人だったのでしょう。世の中にリメイクアニメは数多あれど、これほどまでに旧作に対するリスペクトの欠けた制作陣の言動を自分は聞いたことがありません。
ただ、劇場版ゼータは本当に黒歴史 と断定できるクソ作品だったので、逆説的に考えるとオリジナル声優の方々の輝かしい経歴に汚点を残さずに済んだことは不幸中の幸いかもしれません。
劇場版ゼータが大嫌いな理由その4・何も印象に残らない主題歌
ゼータの主題歌は鮎川麻弥 ・森口博子 以外にありえません。どこの馬の骨ともしれない薄汚いチャラ男がコネで好き勝手に歌っていいものではない。恥を知りなさい。薄っぺらいクソ映画の主題歌としてはお似合いとも言えますが。
逆説的に考えるとオリジナル歌手の方々の(以下略)
劇場版ゼータが大嫌いな理由その5・CGベースのオナニー新作画
劇場版ではいくつかのシーンが新規作画されているんですが、資金の問題で基本的にTV版の旧フィルムを流用しているもんだから落差が激しくて違和感ありまくりです。また、新規シーンはCGベースで作画されているらしく、キレイだけどつまらない絵でした。ああいうのをクリエイターの自己満足と言います。より下品な言い方をするとオナニー(自慰行為)ですね*12 。
とはいえ、仮に潤沢な資金があって新作画で全編作り直したとしても、劇場版ゼータに対する評価は最悪のままで変わりなかったと思います。きっと「金をかけて壮大なゴミを作ったんだなあ……」という感想だけを抱いたことでしょう。アニメにおいて作画は確かに重要なファクターのひとつですが、肝心のストーリーがぐだぐだでは意味がありません。また好みの問題でもありますが、一概に最近の高精細な作画のほうが良いとは限らず、特にゼータに関しては昔のTV版の作画のほうが心象表現や迫力面(スピード感)の点でむしろ優れていると感じます。昨今のアニメは確かに昔に比べて映像技術面の向上はめざましいものがあり、中にはTVシリーズ であっても昔のOVA 並みの作画密度 に仕上がっている作品もあるものの、お上品にまとまっているだけで、キャラク ターデザインもストーリーも、どれも似たり寄ったりの薄くてつまらない作品が増えました。表面的な見た目を取り繕う小手先の技術ばかり先鋭化して、肝心の魂*13 が抜け落ちています。作画コスト低減の名目でCGにばかり頼るようになったメカ表現の衰退もひどい有様です*14 。日本には迫力のあるメカを描けるアニメーターはもうほとんどいないんでしょう*15 *16 *17 。面白かったと言えるロボアニメはダイミダラー が最後でした。
ちなみに劇場版ファーストでは安彦良和 によって作画がいくつか手直しされていますが、TV版放送終了からほとんど時間をおいていないので違和感がないし、そもそも基本的なストーリーや結末自体はTV版から変わっておらず、重要なシーンもほとんどカットされていません。同じ「劇場版」でもえらい違いです。劇場版ファーストは公開から40年近く経つ今でもなおガンダム 入門としてお勧めできる金字塔*18 ですが、クソ劇場版ゼータは検討の対象にすらなりません。口にするのも汚らわしい。
ところで、なぜかファーストガンダム を今の映像技術でリメイクすることを事あるごとに希望する人がいるようですが、絵がキレイなだけでコレジャナイ感満載の残念な駄作に成り下がることは目に見えています。そもそも今の時代メカを描けるアニメーターが絶滅危惧種 に指定されているどころか、セイラさんもブライトさんもミライさんもマ・クベ もナレーターも亡くなってしまっているのに、オリジナルを超える感動をもたらすものが作れるわけがありません。ファーストもTV版ゼータも、オナニー技術や札束によって生まれた作品などではないのです。あの時代こそが作り上げた、代替の利かない唯一無二の珠玉の作品なのです。
総論
クソ劇場版ゼータをこれから観ようとしている人にひとこと言っておきます。
観ないでください(怒)
(声:シャクティ )