syghの新フラグメント置き場

プログラミングTipsやコード断片の保管場所です。お絵描きもときどき載せます。

80年代と90年代前半のアニメをとりとめもなく語る(その1)

ジョジョ第5部が終わった後、深夜アニメは一切観なくなったのですが、Tokyo MXの「機動武闘伝Gガンダム」再放送は毎週欠かさず観ています。自分は小学生の頃リアルタイムで観ていましたが、当時見逃した回もあったし、何せ20年以上も前なので、久々に童心に返って新鮮な気持ちで熱中しています。代表作「ミスター味っ子」で有名な今川泰宏監督が手掛けたこのGガンダムは、いわゆる平成アナザーガンダムの先鋒となり、ファンの間口を広げるのに一役買った重要な作品です。ネオジャパン、ネオアメリカ、ネオチャイナといった各国のコロニーを代表するガンダム同士が、地球をリングとした「ガンダムファイト」と呼ばれる格闘技で覇者を決め、最終的に世界の主導権を握ることができるという異色の設定・世界観を持っており、その突拍子もない荒唐無稽さからガンダムシリーズの中でも特にゲテモノ扱いされることが多いのですが、宇宙に送られたコロニー側が棄民(下級層)となっていた宇宙世紀に対して、Gガンダムでは荒廃した地球に残された側を棄民とするなど、実はガンダムシリーズの主題はしっかりと継承されていて、さすがに富野由悠季が今川監督を後継者と認めたと言われているだけのことはあります。当時の自分でさえ「なんじゃこりゃ!? これ本当にガンダムでやっちゃうの?」と思ったのですが、ストーリー展開は意外とシリアスで、毎回々々画面からあふれ出す謎のパワーによってグイグイと引き込まれていきました。

さて物語もいよいよ終盤、1秒たりとも目が離せなくなってきましたが、第44話ではついに重要人物の一人、シュバルツ・ブルーダーが逝きました。Gガンダムは登場人物がことごとく濃くて熱いのですが、この覆面忍者ガンダムファイターは特にその傾向が強いキャラクターです。素手モビルスーツを倒す師匠・東方不敗ことマスター・アジアもGガンダムの象徴的存在として大人気ですが、個人的にはシュバルツ・ブルーダーが一番好きです。声の出演は「聖闘士星矢」のフェニックス一輝こと堀 秀行さん。まさに「これぞ兄貴!」と言えるキャスティングで、完全にハマり役でした。間違いなく、アンタは本当の兄さんだ……。ドモンは普段一人称が「俺」なのに、兄貴の前で最後に弱音を吐くときだけ「僕」になっていたのが切なかったですね。決死の覚悟でデビルガンダムに立ち向かいズタボロに破壊されていくガンダムシュピーゲル、そしてシャイニングフィンガー発動の際によく使われていたBGM「燃えあがれ闘志 忌まわしき宿命を越えて」のアレンジバージョンも悲壮感を高めています。それはそうとアレンビーのウォルターガンダムとレインのライジンガンダムの一騎打ちの行方はどうなったのか……!? 結末は知っているけど気になる……
ちなみに自分は当時からレイン派です。彼女のセクシーなファイティングスーツ装着シーンに当時悶々とした少年も多かったはず。第19話、ギアナ高地での修行中にサイ・サイシーがレインのスカートめくりをしてパンチラするんですが、最近のアニメはこういう「ちょっとだけエッチなサービスシーン」というのがありませんね。お上品にお高くとまってエロが一切なく口寂しくなるか、あざといエロに全振りして過剰な乳揺れに食傷気味になるか、という両極端のどちらかになっています。

話は変わりますが、docomodアニメストアはかなりお勧めの定額視聴サービスです。月額400円(税抜)で観放題、docomoユーザーでなくてもクレジットカードさえあれば利用できます。古今のメジャーな作品はもちろん、「戦え!!イクサー1」のような知る人ぞ知るマイナー作品まで配信されています*1

anime.dmkt-sp.jp

今年はdアニメやDVD/BDで80年代のアニメをずっと観ていました。80年代アニメは観ていてワクワクするのにどこかホッと落ち着きますね。この時代はまさにサンライズの黄金期で、「装甲騎兵ボトムズ」「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」「機動戦士Ζガンダム」「機動戦士ガンダムΖΖ」「魔神英雄伝ワタル」「魔動王グランゾート」といった著名なロボットアニメ以外にも、数多の名作が次々と生まれました。「シティーハンター」や「ダーティペア」は今観ても十二分に楽しめますね。オンエア当時は観ていなかったので、決して思い出補正などではありません*2。この時代はOP/EDの出来もかなり良くて、シティーハンターで言えば1の前期OP/ED、2の前期OP/後期ED、3のOP/EDあたりが個人的にモロ好みです。ガンダムΖΖの後期OPにはダブルゼータのドッキングシーンのバンクが使われていますが、これ手描きなんですよ。今だと絶対に無理ですね、こんな迫力のあるバンクを描ける原画マンと動画マンはもういません……というか、技術的には描けるけど予算諸々の事情でもう描かせてもらえない時代になってしまったといったほうが正しいのでしょうか。

dアニメではもちろん世界名作劇場シリーズも配信されていて、今年は「小公女セーラ」を観ました。舞台は1880年代のロンドン。インドの資産家である父親がダイヤモンド鉱山の投資に失敗して破産したうえに病気で死亡してしまったことにより、学院一番のお嬢様からただ働きのメイドに転落してしまった主人公セーラ・クルーが、陰湿ないじめや嫌がらせ、ひどい仕打ちを受けながらも、気高い精神を失わずにひたすら耐えるという過酷なストーリーです。1880年代当時は金がすべてであり、一般庶民の命は貴族や金持ちよりも軽く、貧民の命はさらに軽く、今だと完全な人権侵害とされる行為が当たり前のように横行していた時代だったそうです。この作品の描写は世相を忠実に反映していて、ある意味妥当なのですが、ラビニア役とミンチン役の声優にはカミソリ入りの封筒が送られたことがあったそうで、二度とこのような役はやりたくないとおっしゃっていたそうです。声優は演技をしているだけで関係ないのに……むしろあのような嫌な役を、視聴者の感情を揺さぶる高いレベルで演じられたことは賞賛に値するものだと思います。というか声優への嫌がらせなんて、そんなのはラビニアやミンチンと同類じゃあねーかと。まったく頓珍漢で卑劣な行為ですね。そんなわけで観ていてかなりストレスが溜まる作品ですが、最後にどんでん返しが待っているので、途中であきらめないで最後まで視聴してください。とはいえ、一応溜飲は下がるものの納得はいかないとは思います。しかし今はもうこういった気骨のある作品が作られることは本当にないですね。

世間一般の評価は高くないものの、スタジオぴえろの「魔法のアイドル パステルユーミ」もなかなか面白かったです。絵を描くことが好きな花屋さんの少女・花園ユーミが、花の妖精からもらった魔法のステッキを使って、様々な問題を解決しようとします。しかし「エスパー魔美」同様、今だとTV放送できない作品ですね。dアニメでは配信されていなかったので、DVDを購入しようと思ったのですが、ボックスの価格が高めなので輸入盤*3を購入しました。PAL方式ですがDVDドライブを搭載したPCであれば問題なく再生でき、日本語版の音声や映像も完全収録されています。PS4でも再生できるみたいですね。

ユーミちゃんの声優を務められ、OP/ED主題歌も担当された志賀真理子さんですが、若くして事故で亡くなっています。その事実を知ったうえで作品を観たのですが、お世辞にも上手いとは言えないものの一生懸命な演技に胸が切なくなりました。

80年代アニメは間違いなく今のアニメよりも圧倒的に面白いです。今の量産型クソ深夜アニメを1クール4本観るくらいだったら80年代アニメ50話観たほうがよっぽど有意義に時間を過ごせます。懐古趣味と言いたければどうぞご自由に。ですが温故知新とも言います。「面白さ」のルーツを理解するには、過去の名作を観るというのは常套手段です。

もちろん手放しですべての80年代作品を賞賛できるかと言われるとそうでもないです。例えば豪華スタッフが結集したOVA作品「メガゾーン23」は、映像表現は美麗で音楽も素晴らしいのに、ストーリー展開のカタルシスが弱く、発散してしまっていて微妙だと思いました。せっかくの素材を活かせていない。どちらかというと「自己満足」(オナニー)の部類に入ると思います。あとPart IとPart IIでキャラクターデザインが変わりすぎ。直接の続編で同じ登場人物のはずなのに、時祭イヴ以外は完全に別人です。とはいえ、OVA黎明期にこの作品が果たした役割は大きかったようですね。TV版「鎧伝サムライトルーパー」は改めて観ると戦闘シーンの作画の使いまわしが非常に多かったり、途中で打ち切りになったせいかキャラクターの掘り下げが甘かったりと、こちらは力量不足で素材を活かしきれていない印象を受けました*4。でも自分は子供だった当時、聖闘士星矢と同じくらいサムライトルーパーも好きでしたよ。作りが多少雑でも謎のパワーと執念でカバー、それが80年代アニメの強さなのか。

本当にとりとめもなくなりましたが、来年あたり「その2」に続く……かもしれません。

*1:イクサー1は2016年に雑すぎる残念な黒塗り修正付きで地上波TV放送されたことがあるそうですが、dアニメでは完全版が視聴できます。

*2:80年代アニメは自分が子供の頃から慣れ親しんだ声優さんが数多く出演していらっしゃるので、その点ではある意味思い出補正といえるのかもしれませんが。

*3:日本の80年代アニメはフランスでも放送されていて、人気が高かったそうです。今年実写映画化されたシティーハンターもフランス製ですね。芸術の国と言われているだけあって、日本のアニメや特撮作品をぞんざいに扱うハリウッドとは一線を画しています。

*4:サムライトルーパーは二重放送事故でも有名なようですが、これはただの放送局側の失態であり、作品自体の責任ではありません。

れいわ新選組の街頭演説を聴いてきました

横浜駅前で、れいわ新選組の代表・山本太郎氏が演説をされると知ったので聴いてきました。結論、とても有意義でした。というのも、横浜市にも真面目に政治を考えて、経団連と癒着したアベ現政権やハヤシ現横浜市長による大企業優遇・利権優先クソ政策の過ちと罠に気づき、異を唱える市井の人達がちゃんといるんだということを知ることができたからです。原発もカジノも消費税も要りません。完全に賛同できます。

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原発は事故を起こしたときに取り返しのつかない大惨事になるだけでなく、仮に事故を起こさなかったとしても耐用期間を過ぎた後の廃炉作業と放射性廃棄物の管理には膨大な費用・エネルギーと気の遠くなるような時間が必要になります。当然それに伴う二酸化炭素の排出量も膨大です。火力発電の比ではありません。結局チャラになるどころか原発のほうがマイナス面が大きくなるだけなのに、なぜ原発をやめないのか。利権ですね。原発既得権益の甘い蜜に群がるゴキブリどもがそれを支えています。当然、カネに目がくらんで原発を誘致した自治体の連中は同罪で、こいつらが苦しもうが知ったことではありませんが、原発と関係のない、ましてや発電の恩恵を受けてもいないのにただただ土地を汚染されただけの周辺自治体には同情を禁じ得ません。

ところで政友〇志会という気持ち悪い極右団体が大音量スピーカーの宣伝車で演説の邪魔をしていたんですが、残念ながら教養も判断力もない日本の有権者の中にはこういうのに騙されるアホも相当数いるんでしょうね*1。語り口が完全に戦前・戦中のソレで、得体の知れない背筋の凍るような気持ち悪さを感じました。まだこんな愚鈍な思想を持つ連中がいるんだと。こいつらは日本新聞・日本会議と同じです。かつて日本が太平洋戦争へ突入していったのは、知恵と思慮の足りない一般市民がこういう「愛国心」(笑)を騙る極右団体に扇動されたことがかなりの重みを占めています。ゴミカス軍部と指導者・戦犯だけの責任ではありません。少なくとも自民党に投票するという愚行は日本を崩壊させるのに十分です。

www6.nhk.or.jp
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*1:教育の力は絶大です。深い歴史教養や社会教養、自発的に思考する知能のない人間は、悪意を持って近づく連中に簡単に騙されてしまいます。自民党は国民に歪んだ歴史教育や社会教育を施すことで、連中にとって操りやすく都合のいいように洗脳・総白痴化を狙っています。バカバカしい陰謀論だと思いたければどうぞ勝手にそう思ってください。

山口県はゴミカス政治家の排出県

アベ現政権の醜態がさらされるたびに、山口県明治維新の頃から尊王攘夷の名のもとにゴミカスキチガイの鬼畜外道どもを大量に排出(≠輩出)する体質は変わっていないんだなあ……という感慨に浸ります。日本の政治家は大半がクズですが、特に長州山口には支持者も含めて超ド級のクズが集中しているようです。
ところで福島県の除染で出た汚染土は今どこにばらまかれているんでしょうね。下級国民の誰にも知らされないうちに日本中に拡散してますよ。フレコンバッグも今年の台風で大量に流出してどこに行ったか分からなくなりましたが、原発推進派のクズどもは内心ほくそ笑んでいることでしょう。

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水道の民営化や種子法廃止、高プロ制度や消費税増税など、クソ自民はいつの間にかしれっと法律や制度の改悪を強行しています。少子高齢化対策もまるっきり放置されたままで、出てくるものは妊婦加算や幼児教育・保育の無償化、体罰の禁止といった、頭でっかち特有の勘違いも甚だしい、逆効果で極端な法律や制度ばかり。プログラミング教育(笑)*1導入やセンター試験廃止、要りますか? 連中は日本の社会的インフラや教育・保障制度、文化や産業を着々と破壊し続けているだけでなく、既得権益に群がるゴキブリどもの推進する原発により地球規模レベルで大地と海洋と大気を汚染し続けています。福島原発事故の後も、結局大した議論もなくいつの間にか原発が再稼働されました。改元ごときやクソ五輪なんぞに浮かれる脳みそカラッポのバカども*2にとってはどうでもいいことなんでしょうがね。

ちなみに池袋にて何の罪もない無垢の母子を猛スピードで無残にひき殺したにもかかわらず、一向に逮捕・起訴もされず厳罰を受ける気配もない鬼畜ド外道老害クソ野郎の飯塚幸三*3ですが、この殺人鬼の処分が進まない理由は自民党原発に関わりがあるからです。どうやら日本では勲章持ちの上級国民は殺人が免除されるようですね。日本は法治国家ではないことがハッキリしました。日本の司法は畑に捨てられカビが生えてハエもたからないカボチャのごとく完全に腐りきっています

一方、時の政権に決して媚びず、国民栄誉賞を頑なに辞退し続けるイチローはやはりカッコいいです。そんな汚い勲章、決して受け取らないで。

*1:論理的思考能力の基礎となる国語と算数や、科学的素養を育てる理科のほうがはるかに大切です。自分の力で生き抜く力を身に付け、悪人に騙されないようにするためには社会を知ることが必要です。日本人の大半は英語に苦手意識を持っていますが、積極的に英語の情報に触れようとしないせいで、国際化社会において途上国のレベルを遥かに超える情弱になっています。もはやプログラミング以前の問題です。

*2:教養もなければ自己思考能力もなく御しやすいバカを量産するのが自民党による教育改革の目的だったわけですが、案の定日本にはバカが溢れかえるようになりました。能無し集団のはずの自民党の支持率がなぜかアホみたいに高いのは有権者がことごとくバカばかりだからです。残念ながら連中の目論見は見事に成功しました。

*3:2019年のクズ・オブ・クズにノミネート。

劇場版ゼータガンダムこそ抹消すべき最悪の黒歴史

Tokyo MXGガンダム再放送でもCMが流れていますが、宇宙世紀ガンダムシリーズのBDが廉価版として再販されることになりました。4Kリマスターではない従来版の再販ということなので、画質は劣るようですが、正直4Kでなくとも必要十分なんじゃないでしょうか。それよりも大して価格が下がってないことのほうがどうかと思います。

それはそうと、ラインナップにあの悪名高きクソ劇場版ゼータが入っていることが気になります。あれは宇宙世紀ではありません。別の世界線黒歴史です。CMであのクソゼータの映像が流れるたびにゲロを吐きそうになります。AGEのように駄作とかいう生易しいレベルではなく、TV版ゼータどころか、我々が愛した宇宙世紀ガンダムシリーズそのものに対する完全な冒涜です。たまに「賛否両論」とか書かれていることがありますが、日本語が読み書きできないのでしょうか。最後まで観ても賞賛できる部分は何一つありません

自分は宇宙世紀シリーズの作品は概ね観ていて、TV版ファースト、劇場版ファースト、ダブルゼータ逆襲のシャアF91Vガンダム、そして富野由悠季監督作品ではない0080、0083、08小隊も好きなんですが、1991年のローカル再放送で「最初に観たガンダム」として、TV版の「機動戦士Ζガンダム」にはとりわけ思い入れが深かったのです。高校生のときにビデオレンタルで最初に見返したのもゼータでした。ガンプラも旧1/144キット、旧HG 1/144(ウェイブシューター)のゼータを組んだことがあります*1。シャープな印象のゼータはもちろん、マッシブなガンダムMk-IIも好きです。

ではなぜ吐き気を催すほどクソ劇場版ゼータが嫌いなのか。ネタバレ前提なので要注意ですが、TV版より先にクソ劇場版を観てしまうことでゼータガンダムが何たるかを誤解してしまう不幸な人、TV版を視聴済みでうっかりクソ劇場版を観てしまって死ぬほどガッカリする不幸な人が一人でも減ることを願い、ここにそのムカつく点を列挙していきます。

劇場版ゼータが大嫌いな理由その1・「永遠のフォウ」のカット

ゼータガンダムのストーリーは、スペースコロニー、月、地球などを舞台に、主人公カミーユ・ビダンの属するエゥーゴ(反地球連邦組織)、敵対するティターンズ(地球連邦の特殊部隊)、第三勢力アクシズ(旧ジオン公国)の三つ巴による複雑な戦争を描いており、劇場版3本に収めるには尺が足りなすぎます。ですが、だからといって何でもかんでもカットしていいわけではない。

カミーユは作中で二度地球に降りているんですが、一度目にホンコン・シティで出会った薄幸の美少女、フォウ・ムラサメと恋に落ちます。しかしフォウはムラサメ研究所(地球連邦所属)の強化人間であり、無くした記憶を取り戻すために巨大兵器・サイコガンダムに乗り、カミーユと戦うことになります。

二度目に地球に降りたとき*2カミーユティターンズキリマンジャロ基地でフォウと再会するのですが、彼女はさらに強化・調整されてカミーユとの出会いすら忘れていました。戦闘の混乱のさなか、最終的に自分の心を取り戻したフォウは、カミーユをかばって戦死します。フォウはファーストガンダムで言うとララァ・スンのような存在でもあるのですが、ファーストのようにオカルトチックなニュータイプ同士の邂逅は描かれないものの、フォウの死はカミーユのその後に暗い影を落とすことになります。「水の星へ愛をこめて」のインストゥルメンタル・バージョンが流れる中、カミーユがフォウの亡骸を抱きながら、クワトロに「シャア・アズナブルに戻る」ことを促すシーンは極めて鮮烈な印象を残しました*3

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しかしクソ劇場版ではそもそも地球に一度しか降りず、「永遠のフォウ」もなければ「ダカールの日」もありません。ストーリー上重要なターニングポイントや印象的なシーンがバッサリ削られているんです。フォウの死やダカール演説が明確に描かれないなんて、肉の入っていないすき焼きのようなものです。例えばファーストガンダムにおけるミハルやララァの死がカットされたとしても、あなたは黙っていられますか? これを改悪と言わず、なんとするのか。「永遠のフォウ」の重要性に比べたら、アッシマーの活躍なんか本当にどうでもいいんです。TV版には他にも「ハーフムーン・ラブ」「湖畔」といった、各登場人物像を掘り下げる印象的な回が沢山あるんですが、クソ劇場版ではことごとくカットされてしまっています。そもそもゼータを劇場版3本に収めようとする企画自体が無謀なんです。

劇場版ゼータが大嫌いな理由その2・結末の変更

自分があのクソ劇場版ゼータを嫌う最大の理由は、主人公・カミーユの精神崩壊というゼータの物語の終着点とも言える結末を安直に変更してしまったことです。富野監督とは到底思えない采配に、もはや富野は死んだ、と完全に落胆・失望しました*4*5
TV版では、カミーユ・ビダンは戦争のさなか、様々な人々との出会いと死別を体験していきますが、ニュータイプとして感性が強すぎるがゆえに極限まで精神的ストレスを溜め込んでいきます。最終回「宇宙(そら)を駆ける」で、憧れだったエマ・シーン中尉の死に立ち会い、別れを告げるカミーユの表情は穏やかですが悲壮そのものです。ティターンズパプテマス・シロッコが駆る重MSジ・オとの最終決戦では、死んでいった人々(というかカミーユが関わった女性たち)の力を借りてジ・オの動きを封じ、ウェイブライダーで突撃してシロッコを倒すものの、シロッコの怨念により精神を持っていかれます*6*7

戦闘終了後、母艦・アーガマ所属の数少ない生存者として、メタスのパイロットのファ・ユイリィカミーユの幼馴染)は、精神崩壊して自分が誰なのかも分からなくなってしまったカミーユを発見し、その様子に愕然としながらもアーガマに報告。また、戦死したエマ中尉の乗っていたガンダムMk-IIが漂流しているのを見つけて「お前もアーガマに帰りたいのね……」と語りかけます。最後に百式の残骸が流れていき、Fin.のメッセージ。BGMはやはり「水の星へ愛をこめて」。悲劇ではありますが、これ以上ない本当に完璧な結末でした。続編のダブルゼータでは精神崩壊したカミーユをファが献身的に介護します。

しかしクソ劇場版ではカミーユは精神崩壊しません。散々死人を出しまくった戦争の後なのに、ファと宇宙空間でいちゃついて終わりです。しかもそのいちゃつき方とセリフ回しが気持ち悪いのなんの。吐き気がします*8。何なんだこれは。悪夢のような三流のクソシナリオ。何より、カミーユが精神崩壊しないということは、ダブルゼータジュドー・アーシタへのバトンタッチ*9につながらなくなり、さらには間接的に逆襲のシャアにもつながらなくなります。クソ劇場版ゼータは葬り去るべき別の世界線パラレルワールド)であり、黒歴史以外の何物でもありません。他の既存作品をないがしろにしてしまうような自分勝手で横暴な解釈による後付け割り込み作品など、誰が観たいと思うのでしょうか。リセットでやり直しのきくゲームの別ルートのような何か*10に改竄されてしまったばかりか、続編としてガンダムサーガを紡いできた名作の数々に泥を塗りたくったクソ劇場版ゼータ。こんなゴミクズのような作品の、一体どこに魅力があるというのでしょうか。

テッカマンブレードも主人公が最終的にすべてを失なう過酷なストーリーなのですが、だからこそ記憶に残るんです。あれが単なるご都合主義のハッピーエンドだったら、後世に語り継がれる名作になりえたでしょうか。否です。

劇場版ゼータが大嫌いな理由その3・声優の変更

(以下、敬称略)
引退されてしまったファ(松岡ミユキ)は仕方ないにせよ、なぜかフォウ(島津冴子)、サラ(水谷優子)、ロザミア(藤井佳代子)といった重要な登場人物の声がことごとく変えられてしまいました。声優が音響監督に枕営業しているかどうかなんて知ったことではありませんが、そういう噂がたつのもやむなしと思えるくらい、疑念・疑惑の残る気持ち悪い交代劇でした。加えて「音響監督に裏切られた」とかいう醜い言い訳をする富野監督に対する印象は、この時点で最悪になりました。こいつらはクリエイター以前に人間としてどうなのか? カツ(難波圭一)やハヤト(鈴木清信)も、なぜ変えたし、という印象しかありません。決して後任の声優が悪いわけではありませんが、オリジナル声優が存命で現役なのに変える理由が分かりません。特にサラは声優ですらなく、棒演技のド素人(池脇千鶴)を使ったせいで、違和感ばかり気になって話の内容が頭にまったく入ってきませんでした*11。ちなみに棒演技の評判がよほど悪かったのか、サラは第3部でキャストがさらに変更されています(島村香織)。音響監督のポンコツ無能ぶりがうかがえます。結局、ある意味で池脇氏も犠牲者のうちの一人だったのでしょう。世の中にリメイクアニメは数多あれど、これほどまでに旧作に対するリスペクトの欠けた制作陣の言動を自分は聞いたことがありません。

ただ、劇場版ゼータは本当に黒歴史と断定できるクソ作品だったので、逆説的に考えるとオリジナル声優の方々の輝かしい経歴に汚点を残さずに済んだことは不幸中の幸いかもしれません。

劇場版ゼータが大嫌いな理由その4・何も印象に残らない主題歌

ゼータの主題歌は鮎川麻弥森口博子以外にありえません。どこの馬の骨ともしれない薄汚いチャラ男がコネで好き勝手に歌っていいものではない。恥を知りなさい。薄っぺらいクソ映画の主題歌としてはお似合いとも言えますが。

逆説的に考えるとオリジナル歌手の方々の(以下略)

劇場版ゼータが大嫌いな理由その5・CGベースのオナニー新作画

劇場版ではいくつかのシーンが新規作画されているんですが、資金の問題で基本的にTV版の旧フィルムを流用しているもんだから落差が激しくて違和感ありまくりです。また、新規シーンはCGベースで作画されているらしく、キレイだけどつまらない絵でした。ああいうのをクリエイターの自己満足と言います。より下品な言い方をするとオナニー(自慰行為)ですね*12
とはいえ、仮に潤沢な資金があって新作画で全編作り直したとしても、劇場版ゼータに対する評価は最悪のままで変わりなかったと思います。きっと「金をかけて壮大なゴミを作ったんだなあ……」という感想だけを抱いたことでしょう。アニメにおいて作画は確かに重要なファクターのひとつですが、肝心のストーリーがぐだぐだでは意味がありません。また好みの問題でもありますが、一概に最近の高精細な作画のほうが良いとは限らず、特にゼータに関しては昔のTV版の作画のほうが心象表現や迫力面(スピード感)の点でむしろ優れていると感じます。昨今のアニメは確かに昔に比べて映像技術面の向上はめざましいものがあり、中にはTVシリーズであっても昔のOVA並みの作画密度に仕上がっている作品もあるものの、お上品にまとまっているだけで、キャラクターデザインもストーリーも、どれも似たり寄ったりの薄くてつまらない作品が増えました。表面的な見た目を取り繕う小手先の技術ばかり先鋭化して、肝心の魂*13が抜け落ちています。作画コスト低減の名目でCGにばかり頼るようになったメカ表現の衰退もひどい有様です*14。日本には迫力のあるメカを描けるアニメーターはもうほとんどいないんでしょう*15*16*17。面白かったと言えるロボアニメはダイミダラーが最後でした。

ちなみに劇場版ファーストでは安彦良和によって作画がいくつか手直しされていますが、TV版放送終了からほとんど時間をおいていないので違和感がないし、そもそも基本的なストーリーや結末自体はTV版から変わっておらず、重要なシーンもほとんどカットされていません。同じ「劇場版」でもえらい違いです。劇場版ファーストは公開から40年近く経つ今でもなおガンダム入門としてお勧めできる金字塔*18ですが、クソ劇場版ゼータは検討の対象にすらなりません。口にするのも汚らわしい。
ところで、なぜかファーストガンダムを今の映像技術でリメイクすることを事あるごとに希望する人がいるようですが、絵がキレイなだけでコレジャナイ感満載の残念な駄作に成り下がることは目に見えています。そもそも今の時代メカを描けるアニメーターが絶滅危惧種に指定されているどころか、セイラさんもブライトさんもミライさんもマ・クベもナレーターも亡くなってしまっているのに、オリジナルを超える感動をもたらすものが作れるわけがありません。ファーストもTV版ゼータも、オナニー技術や札束によって生まれた作品などではないのです。あの時代こそが作り上げた、代替の利かない唯一無二の珠玉の作品なのです。

総論

クソ劇場版ゼータをこれから観ようとしている人にひとこと言っておきます。

観ないでください(怒)
(声:シャクティ

*1:ゼータのウェイブライダー可変機構は複雑で、2次元の嘘も含まれているため、完全変形とプロポーションを両立するガンプラは当時の技術では不可能だったようです。MG以降はカトキ臭が強すぎて「ゼータガンダム」らしくないので買いませんでした。現在の技術であっても完全変形を目指すとMS形態の可動や保持力が犠牲になってしまうため、設計者泣かせは相変わらずのようです。

*2:ウェイブライダー百式を助けて大気圏突入するシーンも印象的でした。続編のダブルゼータでもジュドーのゼータがエルピー・プルキュベレイMk-IIを救う形で大気圏突入するシーンがあり、演出上の要となっています。

*3:ゼータではファーストの主人公アムロ・レイと宿敵シャア(クワトロ・バジーナ)が共闘し、「永遠のフォウ」では二人がフォウの死に立ち会っていることも見逃せません。ゼータではアムロは宇宙には上がらず、地球でエゥーゴに協力する組織「カラバ」の一員として戦います。放送当時はアムロガンダムに乗らないことが批判されていたようですが、ゼータの主人公はカミーユとシャアであり、また結果的に逆襲のシャアでのニューガンダムの活躍の印象を強めることになったので、むしろゼータでは脇役に徹していてよかったのではないかと思います。

*4:各章のサブタイトルのダサさも富野のセンスの終焉を物語っています。寒すぎて吐き気がするうえにじんましんが出ます。

*5:Vガンダムに代表される「黒富野」に対して、いわゆる「白富野」が嫌いというわけではなく、例えばブレンパワードは好きな作品のひとつです。ターンエーもガンダムとして観ると微妙ですが、悪くはなかったと思います。

*6:カミーユの精神崩壊は酸素欠乏症が原因とかいう推測をする人もいますが、のちにダブルゼータのラストで回復しているらしき描写があることから、単なる酸素欠乏症ではないと思います。

*7:ちなみに小説版のゼータのラストでは、カミーユパイロットスーツのバイザーが宇宙空間で開放された状態が続いている描写があり、あれは酸欠どころか死んでいるんじゃないんでしょうか。

*8:F91もラストにシーブックとセシリーが宇宙空間で抱き合って終わりですが、F91のほうが遥かに爽やかです。

*9:ダブルゼータは最後まで食わず嫌いせずに観て欲しい作品です。たまにダブルゼータ黒歴史扱いする連中がいますが、そのような節穴の戯言は放っておきましょう。確かに前半の作風はおふざけが過ぎる部分もあり、ゼータから続投しているキャラクター達の印象まで変わってしまっていることに憤る気持ちも理解できますが、総括すれば間違いなく名作のひとつであり、クソ劇場版ゼータなど比べ物になりません。

*10:そもそもクソ劇場版は「ゼータガンダム」ではなく、ただのパチモン・贋作・偽物に過ぎないのですから、これからは「ゼットガンダム」いやむしろ「ゼットガソダム」と呼んで区別するべきでしょう。シティーハンターに対するエンジェルハートのように、公式による低俗な同人駄作品だと考えたほうがよいです。

*11:ブレンパワードの伊佐未勇(白鳥哲)、宇都宮比瑪(村田秋乃)、カナン・ギモス(朴璐美)など、舞台出身の新人(当時)でも、役に合った声質や技量のあるオリジナルキャスティングであれば当然問題ないのですが、クソ劇場版では周りが全員本職の声優の中、池脇氏だけが棒演技のド素人で完全に浮いていました。コネか枕か知りませんが、映画の吹替にヘタクソな芸人を使うのとまったく同じヤリ口で吐き気がします。

*12:ガンダムUCにも言えるんですが、どうでもいいマイナーMSやハリボテのネオジオングといったクソどもを画面に出すヒマがあったら、もっと原作通り登場人物を掘り下げて欲しかったです。主人公バナージ・リンクスの人物像は監督の趣味趣向で捻じ曲げられた挙句、重要なシーンはカットされ、完全にオナニー販促アニメに成り下がってしまいました。

*13:抽象的な表現ですが、そもそも animate とは「生命を吹き込む」という意味を持っています。単に動画枚数を増やして絵を動かせばいいというものではありません。

*14:ダブルゼータのドッキングシーンに代表されるように、80年代アニメでは今のCGアニメーターが束になっても到底かなわない本気のメカ作画を要所要所で観ることができます。今のアニメがどれだけ高精細になろうとも、どれだけCGが進歩しようとも、逆襲のシャア0080の作品全体に流れる覇気には遠く及ばないでしょう。

*15:2000年代以降は人物の作画(特に表情)もあっさりしすぎていて迫力というか覇気のない作品が多く、TV版のゼータやダブルゼータといった1980年代アニメの鬼気迫る表情に比べると平坦・平凡そのものです。線画も勢いがなく単調・無機質で、とにかく画(え)に生気が感じられない。キャラクターデザインも80年代のほうがメリハリがあって、男性は凛々しく、女性は可憐でありながらも、どこか親しみが持てます。

*16:そういえばガンダムシリーズのVHSやLDのパッケージイラストは素晴らしいものが多いんですが、なぜかDVDのパッケージは総じてひどいですね。ガンダムに限らず、2000年代以降、絵柄が残念な方向に変化してしまったアニメーターが多い。誰とは言いませんが。

*17:日本ではCGで人物やロボットをクルクル回してアニメーターがドヤ顔をするのが流行っているようですが、できて当然のものを見せられても何の感慨もわきません。逆に痛々しいです。板ポリゴンに魔法陣などの紋様を描いたテクスチャを張ってクルクル回すのも流行っていますが、これは随分前からゲームでお馴染みとなっているビルボード手法の一種で、リアルタイムであればともかくプロダクションレンダリングでやるとすさまじい手抜き感が漂う安っぽいエフェクトです。

*18:ただし音声再録の特別版、テメーはダメだ。余計なことして名作を汚しまくった大罪は万死に値する。コイツはクソ劇場版ゼータと並ぶ黒歴史のひとつなので良い子のガンダマーは観てはいけません。ドラゴンボール改悪も同様ですが、2000年代以降の日本のアニメは本当に過去の遺産に平気で泥を塗る行為ばかりが目立っています。もうジャパニメーションはオワコンですね。

喫煙者は肺ガンで苦しみながら死んでくれ

最近窓を開けると、決まった時間にタバコの悪臭が漂ってくるようになりました。どうも新しくやってきた近隣の住民が吸っているようです。窓を閉め切っていれば悪臭が入ってくることはないのですが、自分はエアコンが嫌いで、夏場は換気扇と扇風機だけでしのいでいるので、タバコ臭はかなりウンザリします。夜中の12時を過ぎても漂ってきます。

タバコを吸う人間は全員肺ガンで例外なく苦しみながら後悔とともに死んでくれ。ちなみに痩せ型の人間は、肥満体型の人間よりも喫煙による健康リスクが高いそうです。同程度にリスクがあればいいのに。チッ。非喫煙者で痩せ型の人は特に受動喫煙副流煙に注意しましょう。最近よく見かける電子タバコや加熱式タバコは、目に見える煙は出なくても危険性に変わりはありません。とにかく喫煙者には近寄らないのが無難です。

自分の父親も恥ずかしいことに喫煙者ですが、ヤツは昔自家用車内で子供の前でも堂々と吸っていました。妻子の健康よりも、自分のヤニ切れ解消のほうが大事だったようです。運転席の窓を開けても腐った空気がかき混ぜられるだけで意味ねーよ。逆に臭いんだよ。エアフロー考えろよ。庭にタバコの吸い殻が捨てられているのを見て、タバコのフィルターは自然分解されにくいからポイ捨てするなとヤツに注意したこともありますが、結局聞く耳持たずでした。最低ですね。
弟も喫煙者で、残念ながらクソ親父の悪影響を受けてしまったようです。幼い頃は同じ環境で育った兄弟なのに、なぜタバコに対する考え方がこうも違ってしまったのか。まあそれ以外の点でもかなり性格や主義思想が違うんですけどね。

歩きタバコやポイ捨ては逮捕してくれ

歩きタバコ(路上喫煙)とポイ捨ても不快です。喫煙者の後ろを歩くと臭くてしょうがないのでかなり距離を空けます。吸い殻を目の前でポイ捨てされる場面に遭遇することはめったにないのですが、道端や側溝にまだ火のついたタバコが捨てられてあるのを見ると激しい殺意を覚えます。道路のど真ん中に転がっていることさえあります。あと歩きタバコは子供の目線の高さに火元がプラプラすることになるので、恐ろしい事故につながる可能性があります。できれば身をもってその危険性を教えてやるために、歩きタバコする喫煙者の手からタバコを取り上げてそいつの目玉に押し付けてやりたいですね。ジュッと。

路上喫煙やポイ捨てを取り締まる条例もありますが、地域によって違うとか、せいぜい罰金とか、日本は喫煙者に甘すぎです。迷惑どころか危険行為なので現行犯逮捕するべき。

飲食店はすべて完全禁煙にしてくれ

自分が今住んでいる地域では、日高屋とかいうやる気のない分煙(笑)をしているつもりのアホなチェーン店は除き、喫煙可能な飲食店はほとんど見かけず、かつて分煙だった飲食店も完全禁煙に移行したので喜ばしい限りです。サイゼリヤすかいらーくグループといった大手も今年から全店舗で完全禁煙になりました。ですが、今の職場のある新宿はひどいですね。チェーン店はたいてい禁煙か分煙ですが、ほとんどの喫茶店は普通にタバコ吸えます。時代遅れもいいところです。分煙すらされていないところは二度と行かないことにしています。臭くて何も楽しめない。分煙であっても喫煙席の近くは基本臭いです。だいたいタバコ吸って麻痺した連中の汚い舌や委縮した脳に何の味が分かるっていうんでしょうか。喫煙者は味覚・嗅覚・知能障害者です。

普段の飲食店は自分の意志で選べるので回避することもできるのですが、問題は飲み会ですね。隣が喫煙者だった日は地獄です。隣ではなくても部屋に喫煙者がいただけで、服が臭くなるのが不快です。健康被害を最小限に抑えるためにも、基本的に無意味な二次会などには参加せず、終わったらさっさと帰ります。

喫煙所は密閉・隔離してくれ

屋外の喫煙所には、簡易的な仕切りがあるだけで、エアフィルターを設けずに開放されているものがあります。ふざけんなと。福島原発放射性物質で汚染された地下水を薄めて海洋に放出しようとしたり、除染で発生した汚染土をこっそり日本中にばらまこうとしたりする日本政府というか安倍政権と同類の犯罪行為ですね。空も海も大地も、地球上のみんなのものです。共有財産を勝手に汚染するな。
そういえばこの前ヨーロッパに出張に行ったとき、地方の駅ではプラットフォームに喫煙所というか喫煙エリアがありました。しかし看板があるだけで、フィルターどころか仕切りすらありません。かなり残念な光景でした。ていうかプラットフォームは完全禁煙にしろよ。

タバコは絶滅してくれ

喫煙者全員がマナーやモラルの低い人間だとは思いませんが、「百害あって一利なし」であることがすでに科学的に証明されているタバコを、自らの意志でやめることができないのは、ただの依存症です。タバコは趣味嗜好などではなく、アルコール中毒麻薬中毒と同じく病気です。病人は病院に行ってください。喫煙者がガンで苦しんで死のうが知ったこっちゃないんですが、奴らのせいでガン患者が増えて医療費として税金が無駄に使われていると思うと反吐が出ます。喫煙者のガンは治療する必要などありません。

喫煙者の人口割合が多かった時代に作られた昔の小説や映画、漫画やアニメなどでは、タバコを演出上の小道具のひとつとして重宝していたことがありました。とはいえ、文学や創作の世界にまで目くじらを立てるつもりはありません。タバコを吸っているけど個人的に気に入っている架空の登場人物、というのは自分にもあります*1*2。むしろ、かつてはそういう時代もあったんだね、ということを振り返ることができるという意味では貴重なので、昔の時代を描く場合はヘタに自重してタバコ演出を削除する必要はないと思います。

だが現実世界ではタバコは絶滅せよ。あとJTとかいう悪魔の手先は滅びろ。

*1:ブラック・ジャックとか、『恋は雨上がりのように』の店長とか、『野々村病院の人々』の海原琢麻呂とか。

*2:シティーハンターの主人公・冴羽リョウは、原作漫画ではかなり頻繁にタバコを吸っているシーンが出てきますが、アニメでは彼の喫煙シーンは滅多に出てきません。1, 2, 3では少なくとも自発的に吸うシーンは一切ありません。おそらく子供への影響を考慮してのことだと思いますが、そのこともあってアニメ版のリョウのほうが個人的に好感度が高いです。

東池袋自動車暴走死傷事故 厳罰化要望に署名しました

ameblo.jp

自分も微力ながら郵送にて署名に協力させていただきました。

署名用紙 (PDF) は以下からダウンロードできます。署名活動は8月末までを予定されているそうです。
このブログをご覧の方々、よろしければぜひ。

加害者の飯塚幸三は反省も謝罪もせず、それどころか権力で殺人を揉み消そうとしています。
そのような蛮行、決して許されるべきものではありません。

enumの読み方・発音はイニューム

ほとんどのプログラミング言語には列挙型 (enumeration type) あるいは列挙体 (enumeration) というデータ型があり、有限集合を順序付けて定義するのに使用します。C系の言語ではキーワードenumを使用します。

/* 軍艦の種類を表す列挙型 */
typedef enum MyWarshipType {
    MyWarshipType_BattleShip, /* 戦艦 */
    MyWarshipType_AircraftCarrier, /* 空母 */
    MyWarshipType_LightAircraftCarrier, /* 軽空母 */
    MyWarshipType_HeavyCruiser, /* 重巡洋艦 */
    MyWarshipType_LightCruiser, /* 軽巡洋艦 */
    MyWarshipType_Destroyer, /* 駆逐艦 */
    MyWarshipType_Submarine, /* 潜水艦 */
    /* C99 や C++11 では末尾要素の後のコンマが許可される */
} MyWarshipType;
/* 列挙型変数の例 */
MyWarshipType type = MyWarshipType_HeavyCruiser;

列挙型の各メンバーは列挙子 (enumerator) と呼ばれます。C/C++では各メンバーに整数値が割り当てられ、ユーザーコードで明示的に指定しなければ最初のメンバーの内部数値はゼロとなり、以降のメンバーは 1, 2, 3, ... のように自動的にインクリメントされた連番が割り振られます。

Javaには当初列挙型がありませんでしたが、有用性を認めたのか、Java 1.5で結局導入されました。ただしJavaの列挙型は参照型つまりclassの一種であり、そのままでは整数型と相互に変換することはできません。

C#には当然最初から列挙型があります。C#の列挙型はC/C++と相互運用しやすい値型となっていて、キャストだけで整数型と相互に変換することもできます。

C++ではC言語互換のenumをサポートするほか、C++11ではスコープを持つ列挙型 (scoped enum) が導入され、JavaC#に近い記述ができるようになりました*1

enumの発音

ところで、このenumをどう発音しますか?

もともとenumは、前述のように英語の enumeration から来ています。米国式発音では「inùːməréiʃən」、英国式発音では「injùːməréiʃən」です。もしカナで無理やり表記するとすれば、それぞれ「イヌーメレイション」「イニューメレイション」といったところでしょうか。アクセント(第1強勢)の位置は-tionの前、第4音節にあります。
また、enumerator の発音は「inúːmərèitər」もしくは「injúːmərèitər」であり、カナ表記するならば「イヌーメレイター」「イニューメレイター」といったところです。アクセントの位置は第2音節にあります。
動詞形 enumerate の発音は「inúːmərèit」もしくは「injúːmərèit」です。カナ表記するならば「イヌーメレイト」「イニューメレイト」といったところです。

したがって、enumは「inúːm」もしくは「injúːm」と発音するのが正しいと思います。カナ表記するならば「イヌーム」もしくは「イニューム」です。個人的には「イニューム」推し*2ですが、米語圏エンジニア相手の会話であれば「イヌーム」と発音するほうが伝わりやすいかもしれません。
ちなみに.NETにはIEnumeratorインターフェイスおよびIEnumerableインターフェイスが存在しますが、自分はそれぞれ「アイ・イニューメレイター」「アイ・イニューメラブル」と発音しています。
また、Windows APIにはトップレベルウィンドウを列挙する関数EnumWindows()が存在しますが、自分は「イニューム・ウィンドウズ」と発音しています。

たまに見聞きするのが、「イナム」とか「イーナム」とかいう発音ですが、これは正直ダサいと思います。略す前の原語を知らずに無理やり字面だけを読んでいるようで、個人的に言わせてもらうと教養を感じさせない、悪く言うと幼稚な印象さえ受けます。極めつきは「エナム」。英語が苦手な日本人らしい、ダサい発音の極致です。
ネイティブでもenumの発音に関しては諸説あり、「イナム」はともかく「イーナム」のほうはネイティブも使っている人がいるようで、誤りとまでは言えないようですが、個人的には嫌いな発音です。

というわけでenumイニューム。異論は認め……ない。どうしても「イーナム」と発音したい人は、せめてenumの語源と、enumeration, enumerator, enumerateの正しい発音くらいは把握したうえでどうぞお好きなように。

余談:charの発音

文字型charの発音に関しても意見が分かれるかもしれません。自分は語源の character そのまま、すなわち「kǽrəktər」=「キャラクター」と発音しています。Bjarne Stroustrupを始め、ネイティブでも字面だけを読んで「tʃɑ́ːr」=「チャー」とかいう人もいますが、これもまたダサいです。日本では「キャラ」と略す人もいるようですが、これは英語圏・米語圏では通用しないと思います。
ちなみにwchar_tは「ダブリューキャラクター・アンダーティー」もしくは「ワイドキャラクター・アンダーティー」と発音しています。

*1:このscoped enumは、もともとマイクロソフトが開発した.NET用マネージ言語C++/CLIにおいて、マネージ列挙型のために拡張された構文がベースになっています。

*2:自分の学部生の頃の恩師である助教授(当時)が「イニューム」と発音されていたので、その影響も少なからずあります。