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シン・エヴァ観てきました【微妙にネタバレ有り】

有給休暇をとって、平日の人が少ない時間帯を狙って「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観てきました。まだ鑑賞できていない人も沢山いると思うので、物語の核心に詳しく触れるような内容は避けて、ザックリとした感想だけ述べることにします。鑑賞前に一切の先入観を持ちたくない人はただちにブラウザを閉じて劇場へどうぞ。


引き返すならば今のうちです。まだ間に合います。

引き返すならば今のうちです。まだ間に合います。

引き返すならば今のうちです。最後通告です。



結論から言うと、観てよかった。新劇場版第3作「Q」の鬱屈した観客置いてきぼりの雑な展開に嫌気がさして、シン・エヴァの鑑賞をためらっている人こそ、観ておいたほうがいいと思います。ある程度の溜飲は下がるでしょう。だからといってQが再評価されるかというと、そんなことは1ミリもありえないのですが。
TV版と旧劇場版のほうが好きで、これまで新劇場版を一度も観ていない人は、観なくても問題ありません。むしろそのまま、懐かしくも苦々しい思い出のままにしておいたほうがよいと思います。新劇場版はただのパラレルワールドで、「エヴァの世界観が好きな人達」「エヴァっぽい何かが好きな人達」が作り上げたもう一つの世界であり、いわば彼らの自己満足に過ぎません*1。だから自分は今回、過去作とは切り離して観ていました。もちろん、完全に割り切れるものではありませんが、僕が好きだったアスカは惣流・アスカ・ラングレーであり、式波ではありません*2。結局、TV版や旧劇場版で感じた、ギラギラとした突き刺さるような狂気のパトスを、新劇場版では一度も感じることはありませんでした。

シン・エヴァは意外にも、これまでのエヴァ・シリーズの中で一番分かりやすい単純な話でした。それはこれまで庵野監督が明確な言語化を避けてきた、エヴァンゲリオンの物語の核心となる人類補完計画の目的といった諸々を、各キャラクターに素直に心情を吐露させることで描写していたからです。説明ゼロで相変わらず謎が残ったままの部分もありますが、登場人物の分身としてエヴァの世界をともに作り上げてこられた声優の方々も、おそらく今作に関しては全員納得して演じることができたのではないかと思います。監督自身の心境の変化もあったのでしょう。
ただし逆に、そのことが「シン・エヴァ」を「エヴァらしくない」作品にしてしまった、とも言えます。良く言えば一般大衆に歩み寄った、と捉えることができますが、悪く言えば八方美人で凡庸になりました。正直、これは「エヴァ」ではなく、いや「エヴァっぽい何か」ですらなく、「エヴァ新海誠作品を悪魔合体して水で薄めたような何か」でした。ぜひ、劇場に足を運んで、最後まで観ていただければ、その言葉の意味がハッキリと分かると思います。自分のような、あまり深く考察しないタイプの観客(一般的なアニメファン)にも分かるように、明らかに意図してあのようなシーンを入れたとしか思えませんでした。TV版や旧劇場版がヘビーユーザー向けだとすれば、新劇場版はライトユーザー向けです*3

TV版の「新世紀エヴァンゲリオン」は1995年から1996年にかけて放送された、全26話の作品ですが、当時は内向的で鬱屈した性格の少年*4を中心とした、小さな狭い世界の中で展開される内向きの作品が珍しかったこともあり、エヴァのユニークさは群を抜いていました。主人公・碇シンジ君と同じ年頃の、思春期の少年の心に刺さらないわけがありません。その後は「セカイ系」と呼ばれる作品が雨後のタケノコのように作られ、「エヴァっぽい何か」が量産されていくわけです。
しかし、エヴァンゲリオンの舞台・時代設定となった西暦2015年は、すでに現実世界では過ぎ去ってしまいました。その間、様々な出来事が起こりましたが、我々の生活は正直1995年頃と比べて大きく変わってはいません。インターネットが普及して一般大衆のものと化し、誰でも全世界に情報を発信できるようになりましたが、高層ビルがニョキニョキ地面から生えてくることはないし、自力で二足歩行できる巨大な人型機動兵器も存在しません。今日も田んぼや畑で作られた米と野菜を食べて生きています。

今作のシン・エヴァは、2007年からリブートした「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの最終作として作られたわけですが、エンターテインメント作品としてはそれほど悪くはなく、あのカオスな世界をよくぞまとめたと思います。カタルシスもありました。ただ、Qの公開2012年から、8年の歳月を経てたどり着いた終着点としては、いささか平凡すぎました。随所に哲学用語と思わせぶりなセリフやカットがちりばめられ、難解なことで有名なエヴァですが、その最終作において、凡人にも容易に展開が想像できてしまったことは、物足りなく、寂しくもあります。酷評されたQからそれほど時間を空けることなく、もっと早く公開できていれば、それこそ「2015年」に公開できていれば、評価もまた違ったのかもしれません。しかし、どんな形にせよ、今回エヴァの物語を終わらせる決断をしたことは認めたい。

ところで以前自分がボロクソにけなしていたCGですが、残念ながら今作も健在でしたね。相変わらずゲームのCGレベルです。8年経ってコレなのかと。そもそもプロダクションレンダリングなのに低フレームレートで動きがぎこちないとかありえんです。
意図的に安っぽくしたのかと思うくらいひどい場面もありました。演出上あえてそうしたのだと信じたいのですが、もし本気でやってあのレベルなのであれば、あのCGシーンを作成したアニメーターはギャグアニメ専門に転向したほうがよいと思います。
メカだけでなく、人物の作画もCGモデルを下敷きにしたとおぼしきシーンがありました。動きの激しい場面や、パースの利いた場面なのですが、動きが明らかにCGでつけたモーション臭くてすぐに分かりました。手描きパートの作画レベルは全体的に高くてそつなくまとまっているだけに、そういった粗がよく目立ちます。残念ながら激しい動きや難しいパースを描けるアニメーターがもういないということなのかもしれません。

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いずれまた落ち着いたら、そうシン・エヴァの公開が終了したら、ストーリーの詳細について触れながら、何か書くかもしれません*5。ですが、今日のところは筆を置くことにします。

ありがとう、エヴァンゲリオン。そして、さようなら、エヴァンゲリオン

*1:シン・エヴァシン・ゴジラ、シン・ウルトラマン。いずれも「新」と「真」をかけているのかどうかは分かりませんが、もし後者なのだとしたら思い上がりも甚だしいですね。

*2:あえてアスカの名前を変えることで「これはパラレルワールドなんだ」ということを意識させる配慮だったのかもしれません。

*3:旧来のファンとして、エヴァの新劇場版は好みではありませんでしたが、新解釈のパラレルワールドとして鑑賞に耐えうるものではあると思います。そういう意味では、もはや観るに堪えない汚物と化したクソ劇場版ゼータガソダムとは一線を画しています。

*4:内向的で鬱屈した性格の少年が巨大ロボットに乗って戦う作品というのは少なかったものの、ガンダムアムロ・レイゼータガンダムカミーユ・ビダンのように、前例がなかったわけではありません。

*5:どうしてもひとこと言わずにはいられない、ムカついてしょうがないキャラクターがひとりいるので。