syghの新フラグメント置き場

プログラミングTipsやコード断片の保管場所です。お絵描きもときどき載せます。

国連を脱退する必要はない(あるいはなかった)

「国連(国際連合)はその役目を果たしていない! 日本は脱退すべきだ!」
とかいう勇ましいことをのたまう人間が湧いて、それに賛同するアホも湧いてますがね。いつの時代も変わらんアホがいるもんだと思いますわ。先の大戦からなんにも学んどらんのかと。そりゃ永遠に敗戦国扱いです。

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1933年(昭和8年)、日本は国際連盟を脱退しました。日露戦争で得た中国・満州の利権を手放したくなかったからです。その結果、どうなったか。まともに歴史を学んだ読者であれば多くを語る必要はないでしょう。
他に選択肢がなかった? 追い詰められてアメリカ相手に開戦せざるを得なかった? お笑い草ですね。
ちなみにジュネーブ会議に出席して国際連盟脱退の中心的役割を担った外務大臣松岡洋右は、大日本帝国国民から賞賛され、凱旋帰国したそうです。いやあ、国民もアホでした。極右団体の発行した日本新聞なんぞに洗脳される国民性でしたからね。たぶん本質は今も変わっとらんのでしょう。

テドロスのような傀儡の俗物をトップに据える今のWHOには俺も疑問を持ちますがね、だからといって国連(国際連合)を脱退するというのは本末転倒でしょう。何を寝ぼけたこと言っとるのかと。

想像力のないゴミクズが教育長になれる日本のヤバさ

この遠藤とかいう武器商人の発想を持つキチガイサイコパスも大概だが、歴史を知らないこんな無知無能の鬼畜ド外道が教育長になれる新潟県教育委員会も終わってます。
しかもコイツは失言どころかまるで戦争特需を期待するかような文書の配布をしています。筋金入りのキチガイサイコパスまたは真正のバカ者です。仮にヤツの言うように真意が別のところにあったとしても、表現の仕方がマズすぎる。結果がどうなるかすら想像できないゴミクズは懲戒免職処分が妥当です。本性が露呈したのだから、謝って済む問題じゃない。アンタは教育の場にいていい人間じゃない。もし謝罪だけで済ませるのであれば、教育委員会も同罪です。どうせ公務員は身内に甘いから何もしないだろうけどな。

たとえ傀儡のアベが政治の表舞台から退いても、日本会議のようなキチガイ集団は滅びません。ネオナチのような極右団体や歴史修正主義者が滅びることがないのと同じです。

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となりのトトロの舞台とうちの実家を比べてみる

8/14に金曜ロードショーでトトロが放送されるとのことで、久々に観てみました。そういえば最後に観たのは学生の頃、もうピー年以上昔です。

いやあ、映画って本当にいいものですね。改めてトトロの普遍性に驚かされました。時代設定である1950年代当時の「日本の里山」と「普通の生活」が丁寧かつ活き活きと描写されていて、まったく色あせないどころか、むしろ輝きを増している感すらあります。

トトロは映像・音楽・脚本・キャラクター造形、いずれも総合的に極めて高い芸術レベルでまとまっているのですが、音楽や歌声が感情を揺さぶる大きなポイントになっていることに気付かされました。メイが小トトロを追いかけるシーンでは映像と音楽が完全にシンクロしていて、遊び心満載の演出には子どもだけでなく大人まで夢中になってしまいます。トトロでは民族音楽的で軽快なサウンドも多く使われているのですが、エキゾチックなのにどこか懐かしさを感じさせます*1。エンディングでは猫バスが駆け抜けていくシーンに、純真で明るくもどこか切ないテーマソングのイントロが重なり、胸がいっぱいになるほどの懐かしさとともに心洗われるカタルシスがあります。映画はやはりこうでないと。

そういえば冒頭の草壁家の引っ越しシーンで屋根裏部屋に通じる急勾配の階段が出てきますが、自分の母方の実家や父方の実家にも、二階に通じる急勾配の階段がありました(今も残っています)。母方の実家では、二階に古いおもちゃや本が置いてあり、よく弟や親戚の従兄弟と昇り降りして遊んでいました。両家とも、改築前には汲み取り式の便所や五右衛門風呂も残っていました。父方の実家では近代的にリフォームしたものの、今も薪で焚く風呂です。昔は風呂場の天井に脚の細長いユウレイグモがよくぶら下がっていて怖かったのと、鉄の釜だったので焚いた直後は火傷するほど熱くて苦手だったのですが、弟や従姉妹と一緒に入って遊んだのは良い思い出です。母方の実家では昔牛を飼っていたのを覚えています。農機具置き場の隣に牛舎があり、台所のすぐそばでした。掘りごたつもありましたね。祖父が風呂焚きで出た木炭をスコップで入れてくれていた光景を、今でも匂いとともに鮮明に思い出すことができます。平成初期の頃は、まだ昭和の名残があちこちにありました。

トトロの舞台のモデルとなったのは東京都と埼玉県にまたがる田舎の集落だそうですが、ローカル線とはいえ電車が通っていますね。うちの父方の実家は電車どころかバスも通りません(最寄りのバス停までは3キロほどあり、しかも長い山道を越えていく必要があります)。「のんのんびより」や「だがしかし」とか、田舎が舞台の漫画でも小さなローカル線の駅が描かれていることがありますが、近くに電車やバスがあるだけマシです。本当のド田舎には電車なんてなく、移動手段がクルマ(自家用車)しかないんです。

トトロでは鎮守の森の御神木として大きなクスノキが象徴的に描かれていますが、広葉樹から成る雑木林は生態系の豊かさの象徴です。日本の田舎には、戦後に無思慮で無能な役人どもが考えた植林政策の一環で大量に植えられたスギやヒノキばかりになってしまった人工針葉樹林が腐るほどあります。実際に腐っています。国産木材の価格が暴落して、木を切って売っても採算が合わないので、今では間伐や手入れも全くされていません。台風による豪雨や大雪で折れた木々が狭い道路をふさいでしまうこともよくあります。マツもありますが、マツクイムシの影響で無惨に立ち枯れしています。少子高齢化林業に携わる人も減っています。うちの父方の実家も雑木は多少ありますが、やはり針葉樹のほうが圧倒的多数を占めています。里山という感じではありません。裏の田んぼや畑に通じる小道には木小屋があり、昔はクリの木があって実をつけていたのですが、小道を整備して砂利を入れるときに切られてしまいました。カキの木はまだ残っています。

ところで1950年代でサツキが小学6年生(12才)ということは、サツキは戦中の生まれということになりますね。あまり想像できないのですが、もしそのまま大人になったとすれば現在は70代から80代でしょうか。宮崎駿監督の「となりのトトロ」は、高畑勲監督の「火垂るの墓」と同時上映だったそうで、ともにまごうことなき珠玉の名作ですが、戦後・戦中で明暗が分かれる形になったのは、単純に両監督の作家性の違いという一言だけでは片づけることはできないと思います。しかし改めて80年代というのは本当に良作アニメがたくさん生まれた時代でした。クリエイターの皆さんには、もっとがんばって欲しいのですが、一方で観客・視聴者たる我々も投資する作品は考えるべきです。

しかしTV局の人間ってのは、あいかわらず本編放送中に余計なテロップを入れるような無粋なことをするんですね。本当に作品に集中していれば、dボタンなんか使っているヒマなどありません。スマートフォンでネットサーフィンしながらでも見られるような、つまらなくて退屈な番組と一緒にしないでほしい。それに次週の予告はCMで散々流しているんだから要らないでしょうに。連中にとっては作品の中身や視聴者の体験よりも広告のほうが重要なんでしょう。地震速報などであれば命に関わることなので仕方ありませんが、入れなくてもいいものを無理やり入れようとするそのセンスの無さには絶望しかありません。

*1:聖剣伝説」シリーズの菊田裕樹サウンド民族音楽的なのですが、自分はこういった音楽に惹きつけられるようです。

ガバガバ脚本のサメ映画に見るチャイナマネーの気持ち悪さ

8/8にジェイソン・ステイサム主演の『MEG ザ・モンスター』が地上波で放送されるとのことで、事前知識一切なく観てみました。
開幕からワーナーのほかに中国語簡体字のよく分からない配給会社が名を連ねているので嫌な予感がしてたんですが、マジでひどかったです。本当につまらない三流クソ映画でした。B級じゃなくてC級以下です。邦画を観て喜ぶ連中はこんなんでも面白いと思えるんでしょうね。

以下、ネタバレありです。

このクソ映画の何が悪いかって、恐ろしいまでにスリルがひとつもないんです。サメ映画なのに。むしろ早く喰われろや、ってずっと思ってました。特にヒロイン(?)の中国女の行動が支離滅裂で、ぶっちゃけ途中からサメのほうを応援してました。終盤の海水浴場沿岸に出現する巨大ザメに対するモブのリアクションもギャグ漫画かよって感じで薄っぺらかったですね。アジア人は表情の変化が分かりづらいっていうのもあるんですが、いやホントに死の恐怖に直面したらあの程度じゃすまねーよ。興ざめです。サメだけに。ていうか、もし本当に古代の巨大ザメ・メガロドンが現代に生き残っていたら世紀の大発見じゃないですか。なんで誰も驚愕・歓喜しないの? ジュラシックパークに匹敵しますよ? そもそも無人機を使わず深海を有人探査するっていうことは、何が起こっても自己責任っていう覚悟をしてきている人ですよねあなたたち?

ゴア表現(グロ表現)も全然たいしたことないので拍子抜けしました。喰われるときはサメに丸のみにされておしまいです。そのせいで薄っぺらいヒューマニズム表現がさらに薄っぺらく見えます。「突然もがきながら海中に引きずりこまれた後、海面が赤く染まって……」「喰いちぎられた手足だけが飛んできて……」「海から引き上げたら下半身だけゴッソリ喰われていて……」みたいなのは一切なし。ときどきある現実のサメ被害のニュースのほうが遥かに恐怖です。実態を知らないんですかね。

ところでハリウッド映画であるにもかかわらず、劇中に登場する電子機器のユーザーインターフェイスに英語と中国語がいちいち併記されているんですが、こういったところにチャイナマネーの影響があからさまに表れています。今回のコロナ騒動で想像以上に世界がチャイナに侵食されていることを思い知った人も多いと思うんですが、結局は金と頭数の力でゴリ押ししているだけに過ぎません。ソ連への牽制と日本人を使った人体実験目的でしかなかった原爆投下による大量虐殺を正当化したり、太平洋上で核実験を100回以上も繰り返して甚大な海洋汚染と健康被害を引き起こしたり、ベトナムにゲリラ狩り目的で枯葉剤をばらまいて深刻な土壌汚染と健康被害を引き起こしたり、石油利権のために中東にマッチポンプ戦争をしかけたり、トランプみたいな無教養で価値観の古いレイシストの俗物を大統領に選んで北朝鮮の刈り上げとガキのケンカのような小競り合いを繰り返したりするようなアメリカが世界の指導者としてふさわしいとは到底思えませんが、一方で中国のような人権無視のファシズム大国に牛耳られるというのはもっと恐ろしいことになりかねません。まさにナチスのような暴虐を繰り返す中国共産党を、本来いさめる立場にあるはずのドイツが中国寄りなのはどうしてなんでしょうね。ドイツの報道機関は機能しているんでしょうか。

それにしてもステイサムの無駄遣い映画でした。もったいない。

ナウシカの胸が豊かであることに今更気付いた話

6月末から日本全国で「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ゲド戦記」のリバイバル上映がされています。各作品1,100円の良心的価格設定。宮崎駿監督作品は金曜ロードショーで観たりVHSで観たり劇場で観たりもしていて、「もののけ姫 (1997)」「千と千尋の神隠し (2001)」は公開当時劇場で観たんですが、ナウシカ (1984) やラピュタ (1986) の公開当時、自分はまだ物心もついていない頃だったので当然劇場の大スクリーンで観たことはありませんでした。今回はせっかくなので、まずはナウシカを観に行ってきました。いやー、映画って本当にいいものですね。有給を取って平日に行ったので、かなり空いていて快適でした。やはり映画は平日鑑賞に限ります。

ていうかなんで「ゲド戦記」なんですか? 唯一宮崎駿作品じゃないし……。次はラピュタカリオストロの城リバイバル上映してくれないかなあ。ハウルの動く城とかもどうでしょうか。

ちなみにファーストガンダム3部作とか逆襲のシャアとかF91とかも劇場で観てみたいんですが、逆襲のシャア4DXはリバイバル上映館が少なすぎて観に行けませんでした。というか2,600円は高すぎるわ。アホなのかと。ブルーレイも一向に安くならないし、本当にバンダイナムコガンダムのIPに胡坐をかいた守銭奴のドケチ企業ですね。ジブリには感謝しかありませんが、バンナムには恨みつらみしかありません。

風の谷のナウシカとは

ナウシカラピュタ・トトロは金曜ロードショーでよく放送されるので、人並みに映画をたしなむ日本人であればあらすじを知らない人はいないと思いますが、ネタバレしない程度に一応解説しておきましょうか。ナウシカは産業と戦争によって自然が破壊・汚染された科学文明崩壊後の世界の話で、人々の暮らしぶりは中世ヨーロッパのようでありながら銃器や戦車、航空機・戦闘機も登場するSFファンタジーです。「腐海」と呼ばれる毒の森が世界中に広がりつつあり、人々の生活が脅かされていることが冒頭で描かれます。「風の谷」と呼ばれる集落の族長の娘・ナウシカがこの物語の主人公であり、彼女の視点で腐海の謎が解き明かされていきます。ナウシカが駆る動力源不詳の小型航空機メーヴェ腐海を守る巨大な虫たち、とりわけ動く森のようにも見える王蟲や、旧世界の怪物・巨神兵など、登場人物だけでなく世界観や設定もすべてが斬新な本作の魅力はとうてい語り尽くせません。子供の頃は明るい作風のラピュタやトトロが好きで、全体的に悲壮感の漂うナウシカは苦手だったんですが、大人になって初めてナウシカの魅力が分かるようになってきました。

本作を象徴する伝承の一節「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」を体現するラストシーンは映画史に残る屈指の名場面です。

ナウシカには宮崎駿が手掛けたコミック版もあり、こちらは映画版とは異なる展開となるそうです。自分は未読なのですが、リバイバル上映を機に読んでみたくなりました。

ナウシカの胸

本題に入りましょう。ナウシカのおっぱいについて。今更気付いたんですが、ジブリヒロインはわりと貧乳が多いのに、ナウシカの胸はかなり大きいほうですよね。服の上からでも胸の膨らみがはっきりと分かります。厳密に言うとナウシカスタジオジブリが設立される前に制作された作品ですが、まあ最初のジブリヒロインといっても差し支えないでしょう。

作中、風の谷に侵攻してきたトルメキアの捕虜として連行される途中、撃墜された輸送機から脱出する際、ナウシカはキツネリスのテトをかくまうために胸元をはだけます。その際に「胸の谷間」がしっかり描写されているんですよ。風の谷だけに。おいちょっとそこ代われ。子供の頃は普通にスルーしてましたが、大人になってから気づきました。

ナウシカはエロい。

御大いわく、ナウシカの胸は風の谷の民が死にゆくときに抱きとめることができるように大きくした、なんてのたまったそうですがね。いや普通に巨乳ヒロインにしたかったんでしょう。本当にありがとうございます。

ただし、昨今のエロアニメと違い、ナウシカには下品で安直で不自然な乳揺れなどありません。蟲笛を振り回すときに右の乳房が揺れるシーンが一瞬ありますが、あくまで自然です。トップクラフト恐るべし。

ナウシカは清楚可憐な美少女でありながら活発な正統派ヒロインですが、風の谷の民の信頼も厚く、包容力が段違いです。彼女のおっぱいはまさに母性と慈愛の象徴ですね。のちに「セーラママ」と呼ばれるだけのことはあります(?)*1

余談

ところで映画本編が始まるまでの10分間くらいで延々と流れる他の映画の予告、アレに邦画を入れるのやめてもらえませんか? 観ていてこちらが恥ずかしいし不快です。あまりに痛々しくて目をそらすことしきり。洋画に比べると最近の邦画は脚本も映像も音楽もキャストもすべて学生レベルの駄作ばかりです。要するに子供っぽすぎる。アニメはまだ結構頑張ってるほうですが、実写は本当にひどいですね。あんなチャチなものを垂れ流して恥ずかしいとすら思わないんでしょう。日本の映画は終わりました。

*1:詳しくは島本須美さん主演の代表作「小公女セーラ」を観てください。こちらも名作です。

無印セーラームーン全話視聴した感想

YouTube東映動画公式が4月から毎週10話ずつ「美少女戦士セーラームーン」オリジナルアニメ(旧アニメ)シリーズ3作を公開してくれているので、このたび遅ればせながらセーラームーン観てみました。

良いですね。素晴らしいです。やはりセーラームーンセルアニメでなくては*1

以下、壮大なネタバレが含まれる感想なので、未視聴の方はお帰りいただいたほうがよいかもしれません。その場合はまず、dアニメストアで無印セーラームーンを最後までご覧ください。

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セーラームーンと俺

今から時をさかのぼること28年。セーラームーンのTVアニメが放送開始されたのは1992年でした。実は小学生の頃、リアルタイムで途中まで観ていたことがあります。「ひみつのアッコちゃん」(1988)とか「魔法使いサリー」(1989)とか、魔法少女もの*2は普通に観ていたので全然抵抗なかったんですよ。というか前番組の「金魚注意報!」を観ていたので、その流れで観始めました。第1話の変身バンクやタキシード仮面登場シーンが特に印象的でしたね。なんじゃこりゃ新しいなーでもお茶目でコミカルで可愛くてエッチだなーと思ってました。確かセーラーマーズが出てくるあたりまでは観ていたんですが、ただ放送時間帯が夕食時で、女の子向けのアニメ(しかもちょっとエッチな変身シーンあり)を親や祖父母と一緒に観るのは小学生男子としてさすがに抵抗があり、だんだん観なくなってしまいました*3。本当はものすごく興味あったんですけど。ちなみに当時はコミックボンボンが愛読書でした。セーラームーンネタをぶっこんでくる漫画家さんもいましたね。本山一城先生とか。講談社だからいいのか。

時は流れ、2015年。リメイク版・セーラームーンCrystalがTV放送されました。オリジナルとどう違うのか、興味本位で観たんですが、キャラクターデザインがとげとげしく、作画もひどくて、登場人物の掘り下げも中途半端で印象が薄い。原作漫画の世界観ばかり重視して愚直にアニメ化した反動なのかは分かりませんが、とてもじゃないけど面白い作品とは言えませんでした。特に変身バンクがCGとかどういうことよ(これが一番許せない)*4。旧アニメよりも原作に寄せて制作されたと言われていますが、ハッキリ言って旧アニメの良さを逆に際立たせただけの凡作に終わりました。旧アニメから20年経って進歩したかと思いきや、完全に日本のアニメ業界は衰退していました。もはや見る影もありません。三石琴乃さんも年齢を重ねてベテランになり、残念ながら当時の初々しさはなくなってしまっていました。もちろん声優さんも人間なので、これは仕方のないことなんですが、他のキャラクターはキャスト総入れ替えなのに主役だけ続投というのはどうも中途半端です*5。第3期まで我慢して観ましたが、プリキュア臭にまみれたデジタルアニメの弱々しさだけしか印象に残っていません*6

再び時は流れ、2020年。もっと早く旧アニメを観ておけばよかったと激しく後悔しています。やはり旧アニメのスタッフは偉大でした。この先、いくら小手先の技術が進歩しても、旧アニメを超えることはできません。なぜならば、旧アニメのセーラームーンガンダム同様、時代が生んだ作品だからです。

HEART MOVING

無印は終盤、三石さんが病気療養のため一時降板されるのですが、荒木香恵(現・荒木香衣)さんが急遽代役として月野うさぎセーラームーンを演じることになったというエピソードは恥ずかしながら今回初めて知りました。交代初回の44話ではやはり違和感がありましたが、45話以降は脚本や演出もあいまって、まったく違和感のない、もう一人のうさぎちゃん/セーラームーン/プリンセス・セレニティを演じられていたと思います。三石さんも1年間ともに走り続けてきた仲間たちと最終回に参加することができず、さぞ無念だったでしょうけれど、その想いはきっと荒木さん、久川さん、富沢さん、篠原さん、深見さん、古谷さん、潘さん、そしてすべてのセーラームーンスタッフに届いていたから、伝説の最終回が生まれたのだと思います。まさにムーンライト伝説。誰がうまいこと言えと。

無印では初代ED曲「HEART MOVING」のインストゥルメンタル・バージョンが要所でBGMとして流れて物語を盛り上げてくれます*7。特に第42話、45話、46話(最終話)では絶妙の使い方がされていました。これらの回は特に印象深くて2回ずつ観たんですが、42話での美奈子ちゃん、45話・46話でのうさぎちゃんのセリフに涙がこぼれました。45話・46話では荒木さんの声質もあいまって、これまでのコミカルな作風と終盤の悲壮感の落差がすごいんです。強敵・DDガールズとの戦いで、ジュピターが、マーキュリーが、ヴィーナスが凄絶な最期を遂げ、とうとうマーズと二人だけになったとき、セーラームーン/うさぎちゃんはこういって引き留めようとします。

「後はあたし一人で全部やるから、全部やっつけて、クイン・ベリルもやっつけて帰るから、レイちゃんは先に帰ってて……死んじゃいやだよ……」

本当は戦いたくないのに、いつもケンカばかりしているけれど大切な人をもうこれ以上失いたくないから、自分ひとりで戦おうとするんです。今にも崩れ落ち泣き出しそうなセーラームーンを励まし、明るく振る舞うマーズ。しかし、結局マーズも苦しい戦いののち、敵を道連れにして命を落とします。ひとり残されたセーラームーンは絶望に打ちひしがれ、これは夢だよと言って逃避しようとしますが、死してなお希望を託し語りかけてくる4人の仲間の声に押され、再び立ち上がり、最後の戦いに向かって懸命に走り出します。ダメだ、書きながら涙が出てきた。

自分はセーラージュピターが一番好きなんですが、やっぱりセーラームーンも健気で素敵ですね。再認識しました。ちゃんと使命を全うする主人公していて、これは確かにみんな憧れますわ。

このように、旧アニメでは脚本・映像はもちろん、演出・音響にも抜かりはありません。

以前、TV版「機動戦士Ζガンダム」について語ったことがありましたが、ゼータガンダムでも「水の星へ愛をこめて」の感傷的・叙情的なインストゥルメンタル・バージョンがBGMとして使われることで、物語の悲劇性を高めるのに重要な役割を果たしていました。音楽は大事ですね。

後期EDの「プリンセス・ムーン」や、セーラームーンRのED「乙女のポリシー」も良い曲ですね。ピアノで弾けるようになりたい。

とりとめもなく語りましたが、言葉では伝えきれません。セーラームーンに少しでも興味が湧いた方は、せめて無印の全46話だけでも観てください。これは観ないと人生損してます。

もちろん我らがdアニメでも観られます。後でまた観返そう。

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*1:最近のアニメはデジタル作画になってから、画面のノイズがなくなりキレイにはなりましたが、皮肉なことにそのせいで立体感や存在感がなくなり薄っぺらく見えてしまうのです。実は多少ノイズがあるほうが情報量が増え、画面が豊かに見えるようになるそうです。何より、均一なデジタル線画や塗りよりも、ちょっとした揺らぎのある手描きのアナログ線画や塗りのほうが温かみがありますね。

*2:そういえば「オズの魔法使い」とか「エスパー魔美」とか「チンプイ」とか世界名作劇場とか、女の子が主人公のアニメは結構よく観ていました。昔はゴールデンタイムのアニメが充実していましたね。

*3:確か「まんが日本昔ばなし」と放送時間帯が同じで、家族みんなでご飯を食べながら観るときはこちらが優先されていたような記憶もあります。

*4:変身バンクがCGになったのは制作費をケチった結果なのかどうかは知りませんが、素人目にも分かる手抜き具合です。あんなものにOKを出す監督やプロデューサーがいるなんて信じられません。本当に作品を愛していてコンテンツを延命する気があるのであれば、きちんと作品に向き合って本気で作って欲しいです。旧アニメも当初は低予算だったと聞きますが、そんな風にはまったく見えません。むしろセーラームーンに関してはヘタな延命措置など不要で、旧アニメは10年どころか30年先でも鑑賞に耐えうる普遍性を持っていることが図らずも証明されました。

*5:聖闘士星矢でキャスト総入れ替えして爆死したのを引きずっているんでしょうか?

*6:ドラゴンボール超といい、鬼太郎といい、聖闘士星矢といい、最近の東映アニメは一様にプリキュア臭がひどくてイライラします。どれも似たような絵コンテ・線画と色彩設計で、動きやカメラワークも画一化されていて多様性がないんです。登場人物も薄っぺらいのが多く、人の話を聞こうとせず一方的に気持ちを押し付け自分語りするだけのコミュ障の性格設定が増えています。要するに会話が成立していない。あと公開予定の劇場版Eternal、なんか色が白っぽくて薄すぎじゃないですか?

*7:この頃はまだ昭和末期の匂いを残した曲が多く、どことなく懐かしいメロディーですね。

エヴァ新劇場版に見る日本のCGの安っぽさ

YouTube公式チャンネルで「ヱヴァンゲリヲン」新劇場版3作(序破Q)が2020-04-29まで無料公開されています。
今年2020年にようやく完結編(?)の「シン・エヴァンゲリオン」が公開されることが決まっていますが(ただしその後延期されることも発表されました)、Qの公開2012年からすでに8年近くが経過しているので、これまでの作品を無料公開したほうが既存ファンのより戻しや新規の獲得も見込めるとの判断なんでしょうね。

個人的にはTVシリーズの「新世紀エヴァンゲリオン」と旧劇場版のほうが好きです。TVシリーズの最終回とか、さんざんボロクソ言われてますが、量産機と弐号機のバトルなど、手描きのセルアニメのピークに立ち会えたことは確かでした。あの巨大感と重量感は今の手抜きCGアニメでは絶対に出せません。あと青い零号機のほうが好きなんですよ。雨の降りしきる中、黙々とロンギヌスの槍を投擲して衛星軌道上の第十五使徒アラエルを屠るシーンとかね。忘れられないですね。庵野監督は当時TV版も旧劇場版も物語として完結させるつもりがなく、視聴者や観客に委ねるというより単に責任を放棄して投げ出しただけなんじゃないでしょうか。

新劇場版も、もちろん公開当時観に行きましたよ。序は比較的TVシリーズに近い流れでしたが、TVシリーズのほうが時間をかけて丁寧にキャラクターを描写してストーリーを組み立てているので、どうしても物足りなさを覚えました。何より、CGがチープで、観ていてつらくなりました。破からはさらに狂ってきて、Qはイライラしか感じませんでした。今回、せっかくなので再度観直してみましたが、やっぱり同じ感想しか抱けないですね。特にQは大人も含めて登場人物ほぼ全員がコミュ障です。TV版や旧劇場版に輪をかけて悪化してます。シンジ君の理解者であったはずのミサトさんがクズになっていて悲しくなりました。誰かシンジ君に状況説明してあげろよ。説明しないからおかしなことになるんだろうが。変なCGのお舟でドンパチなんか見せられても面白くもなんともないんですよ。せっかく旧作からストーリーを変えるのであれば、もっとカタルシスが欲しかった。TV版の第十四使徒ゼルエル戦のカタルシスに比べたら、破は実に締まりのない、拍子抜けする結末でした*1。あと破以降はキャラクターデザインや動きにクセがあって好みでないというのも少なからずあります。

……と、ここまで来たところでようやく本題ですが、日本の映画・ドラマは実写/アニメ問わず、CGの使い方が本当にヘタクソだと思います。実写のCG合成のチープさは言わずもがな、アニメの場合は手描きの部分となじんでなくて、動きもぎこちなく、見るからにCGと分かるので萎えるんです。手描きの背景上でCGのクルマが動いているシーンとか、明らかに浮いていて悲しくなります。トゥーンレンダリングしただけで終わりとか正直ナメてるんじゃないでしょうか*2。CGが便利なのは分かりますよ。大量に同じオブジェクトを配置して連動させるのも簡単ですし、カメラやライティングを変えていくらでも撮り直しができます。手描きでは人件費がかかりすぎてしまう作画工程も、一度3Dモデルを作成すればモーションやモーフを付けるだけで済んだりしますしね。
でもね、俺はCGで描かれた無機質なエヴァンゲリオンが見たいんじゃなくて、多少描き手によってバラつきがあってもいいから血の通った「人造人間エヴァンゲリオン」が見たかったんですよ。エヴァはロボットじゃないんでね。CGのエヴァをクルクル回してドヤ顔をされても、何の感慨も湧きません。安っぽい人形劇が見たいんじゃなくて、群像劇が見たいんです。

日本のCGは、どこまで行っても古いゲーム(PS1/PS2世代)のリアルタイムCGどまりなんです。ポリゴンにテクスチャを貼っただけのビルボードエフェクトとか、いつまで経っても古いゲーム準拠の手法なので、チープさが抜けません。むしろ解像度や画質が上がることで逆にチープさが際立ってしまっています。それはこれからも同じように続いていき、取り残されていくのだと思います。

*1:拍子抜けという意味では旧劇場版にも通じるものがありますが、新劇場版の破とQは上げて下げるのではなく、最初から最後まで低空飛行な印象を受けました。

*2:AKIRAのように表現目的でCGをピンポイントかつ効果的に使用するのであればともかく、手抜きのためにCGを使い始めたら終わりです。